2007年12月23日
SR猫柳本線 志まんノート 2007
SR猫柳本線 Nekoyanagi Line
http://www.kronekodow.com/
小憩ゾーン :::::志まんノート:::::
http://www.kronekodow.com/html/06entertain/note2.html
「大阪でギャグは可能か」 2007年12月19日
感動のフィナーレを迎えた東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment。毎回のMCのなかで恒例となっていたのが、刄田氏がお題をふって、「某都民」のイントロとともに亀田師、浮雲氏、伊澤氏が順に答えていくというもの。出題者である刄田氏は、千秋楽でこの趣向を「某都民大喜利大会」と言っていましたね。その「某都民大喜利大会」は、いつも打ち合わせなしのアドリブだったため、刄田氏以外の男性メンバーの追い詰められた末の回答が、毎度の醍醐味となっていました。
しかし、ある意味高見の位置にいるともいえる刄田氏も、お題探しには苦労していたようです。大阪公演のとき、私になにかいいお題がないか、訊ねてきたことがありました。
大阪公演はぜんぶで3公演あり、刄田氏が私に助け舟を求めてきたのは、3公演目の日です。それまでの2公演では、お題はそれぞれ「考え付く大阪弁」、「たこ焼きに入れる具材」と、ご当地に根ざした素晴らしい発送でした。では、3公演目は。当然今回も、ご当地ネタでないとつまらない。そういうわけで、私が刄田氏に提案したお題とその段取りは、これです。
往年の関西ギャグ。これは、はまればデカい。刄田氏がまずは「ドゥーン」(村上ショージ)とか「いらっしゃーい」(桂三枝)とか言うと。そのフリがありつつ、「関西には、有名な一発ギャグがたくさんありますけども」とやり、お題を提示する。あとは、刄田氏以外のメンバーが、あまたの有名一発ギャグの、どの辺りをチョイスするか、そこに面白みが出てくるはず。このお題ならば、きっと間違いありません。
この提案を受けた刄田氏。はじめは「イイ!」と好感触でしたが、自らがギャグを発して呼水となることに難色を示しました。「いや、『いらっしゃーい』とか『ごめんくさい』とかなら、誰でも知ってていい意味ベタではありませんか。受けますって」と私が説明すると、そのときは了承してくれたような雰囲気でした。
いざ本番。期待のMC箇所。刄田氏は、結局お題を「関西の往年ギャグ」でいくのを断念していました。「リスクが大きすぎた」というのが理由だそう。なんとも残念な。
しかしまあ、よく考えてみたら、本場のお客さんの前で、付焼刃的に往年ギャグをかますなど、場合によっては返り討ちにあっていたことも考えられます。やめておいて正解だったのかもしれません。とりわけ、「ドゥーン」は明らかに両刃の剣ギャグだなあと。
--------------------------------------------------------------------------------
「ライブハウスでのライブならば」 2007年11月2日ライブハウスでのライブは「立ち」が基本です。椅子席に慣れている身には、少々体に堪えるのが正直なところ。いやむしろ、こういう機会を使って自らの体を鍛えるようにしましょう。
それにかこつけてみました。Spa & Treatmentツアーのいままでの会場、横浜BLITZでもZEPP NAGOYAでも、終演後会場から駅までを徒歩にしてみたのです。いずれもだいたい20分程度の距離でしょうか。ウォーキングとしてちょうど良い距離感です。それに、横浜みなとみらいの広漠たる様、そして名古屋駅周辺の巨大メトロポリス的様、これらの威容をじかに感じられたのは、徒歩ならではの収穫でした。横浜BLITZから横浜駅まで、みかんの皮を捨てたかったのにどこにもゴミ箱がなく、駅についても見つからなかったので、最後には弁当箱に入れてやり過ごしたのは、逆に誤算でした。
これからライブが行われる地方の会場でも、ぜひライブハウスから駅までは、徒歩でどうにかしたいと思っています。
言ってるそばからですが、ZEPP OSAKAの遠さにはびっくりしました。東京でいうところのお台場のような、埋立地にあったのです。東京駅からお台場へ徒歩で行くということがかなりの力技のように、梅田駅からZEPP OSAKAへも徒歩は無理でした。しょうがないので、コスモスクエア駅を利用して。
--------------------------------------------------------------------------------
「Spa & Treatmentはじまる」 2007年10月30日もう既に3公演が開催されている東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment。私ももちろん現場でライブを見つめています。ライブハウスでの実演ですので、お客さんとのコールアンドレスポンスによって、ライブの出来はいかようにも変化します。どうぞこのたびは、ガンガンとステージの事変衆に感動をぶつけてやってください。
楽屋エピソードをひとつ。楽屋では、なぜか巨大なビニールマットレスが敷かれています。史上最大の遊戯を感じさせるほどの、不穏なブツです。椅子などは退けられていて。いったいどういう意味なのかと訊ねてみると、なんでも伊澤氏が持ち入れたもののようで、寛ぐためのものなのだそう。空気で膨らんでいるので、フカフカして心地よい感触。確かに寛げそうです。液状のものをこぼさないようにしないと。
本番が終了してビニールマットが恋しくなるか否か、それこそがライブの充実度を測るバロメーターになるに違いありません。
--------------------------------------------------------------------------------
「二人を祝う」 2007年10月5日来るべき東京事変 live tour 2007 Spa & Treatmentに備え、ただいま東京事変は日々リハーサルに励んでいます。本日10月5日も、もちろんリハーサルは実施されましたが、なんと偶然にも、この日は刄田氏の誕辰ではありませんか。そして、本日より二日後、10月7日はこんどは浮雲氏の誕辰なのです。祝わない手はありません。
私は百貨店に赴き、ケーキをホールで購入。プレートには「刄田 浮雲両氏 お誕生日おめでとう」の文字指定。そのままスタジオへ急行しました。
どこでケーキを出すべきか、演奏が行われているスタジオの見えるブースから、常に私はタイミングを見計らっていました。そしてついに、リハーサルがひと段落ついたところで、ようやくケーキを出す局面が現われました。冷蔵庫からケーキを取り出し、蝋燭を立てる。GOサインが出たらば、すぐさま火を灯し、スタジオを急襲!のはずが、ひと段落したリハーサルの火がまた灯り出したりして。そこからまた数分待たされました。蛍光灯に晒された、蝋燭をさしたケーキが傷みやしまいか、待っている間は気が気ではありませんでした。
ようやく出たGOサイン。私は蝋燭に火の灯されたケーキを持って、慎重にしなしなとスタジオに入っていきました。やおら聞こえるバースデーソング。林檎女史によるものです。贅沢極まりないこと。喜びを爆発させる一方の主賓・刄田氏。「嬉しい」を連発しています。いま一方の主賓・浮雲氏は「俺はいいよ」と謙遜しながらも、周りの後押しでケーキの乗った台の方へ。そして、二人して蝋燭を吹き消す。なんて心温まるひととき。
件のケーキは、事変メンバーはもとより、スタッフでおいしくいただきました。
いまさら誕生日もないだろうよ。そんなことはないと断言いたします。むしろいまこそ誕生日なのだと。
--------------------------------------------------------------------------------
「J高田先生と」 2007年9月21日高田姓の著名人は数あれど、やっぱりいちばんにイメージされるのは、なんといっても高田純次先生です。「先生」を後ろにつけずにはいられないほど、完全リスペクト。過去の面白武勇伝は枚挙に暇がありません。それでいながら、現在もバリバリの現役でいらっしゃる。尊敬しないのがおかしいというもの。
当然ながら、我らが林檎女史も、高田先生を長年敬愛してきました。事変メンバーに伊澤氏が加入したときも、「高田純次さんに似ている」などと嬉しそうに言っていたものです。まさかそれが理由で、伊澤氏の事変加入ということがあるわけもないのですが。
さて、そんな林檎女史が、東京事変として久々に「僕らの音楽」(フジテレビ系)に出演することとなりました。「僕らの音楽」出演ということは、対談コーナーがもれなくついてきます。そうなると、もうお相手は高田純次先生にお願いするよりなくなります。高田先生も対談のお願いに快諾してくださったようで、椎名林檎×高田純次の奇跡のマッチメイクが先日ついに実現しました。
場所は、都内の小粋なバーで。本番でリアルに初対面というスリリングさ。林檎女史はもとより、高田先生も心なしか緊張しているご様子でした。前半戦こそ間合いをはかっているようでしたが、そこは百戦錬磨の高田先生です。後半はいつもの名調子が炸裂しました。周りで観ていた私たちは、笑いを堪えるので必死でした。
さあ、ならば中身はどんなトークが繰り広げられたのか。「僕らの音楽」。対談も実演も、とにかくオンエアは必見です。
--------------------------------------------------------------------------------
「スタジオという炉」 2007年4月17日東京事変の集うスタジオへ行く。伊澤氏と遭遇。開口一番「『志まんノート』見ましたよ。面白かった」と言われる。存外の喜びだった。書いた甲斐があるというものだ。しかし一方で、「志まんノート」を見た縁者からは「発言に気をつけなさい」とたしなめられたらしい。あのときの伊澤氏の発言は、悪意があるものではなく、私たちに潤いを与えるものだったことを強調しておかなければならない。あの発言は、むしろ笑っていただくべきものだったのだ。
さて、スタジオ。事変の五人が試行錯誤を繰り返しながら、徐々に音楽を仕上げていく様は、いつ見てもゾクゾクする。さんざん工夫を凝らした結果、工夫箇所を使用せず、そんな決断もあり得る。より良い音楽を作るためには、その都度足し算引き算が必要なのだろう。
東京事変は、既に始動している。期待を注入すると、スチールウールの如く、激しく燃焼する。燃焼の末の爆発が見えてきた。
--------------------------------------------------------------------------------
「服役した人」 2007年4月3日東京事変がリハーサルをやっていた。 久々のセッションである。あの五人がしばらくぶりに勢ぞろいした。このこと自体、小さな事件=事変であろう。私も遅ればせながら、リハーサルスタジオにはせ参じた。
事変のメンバーに挨拶するやいなや、伊澤氏がご挨拶なひとことを放った。「殺人犯みたいな」。
何を言わんとしているかわからなかった。数秒の思考のあと、どうやら私の"なり"に対してのコメントだということに気が付いた。薄いグレーのスエット地の丸首に、ブルゾン。この組み合わせが、出所した受刑者に見えたのだそうだ。だからって、一足飛びに「殺人犯」などと。秒殺されたが如く、私は一瞬でテンションを落とした。
その一週間後、またもリハーサルの現場へ赴いた。伊澤氏は、すっかり先週の出来事を忘れていたばかりか、私と挨拶をしたことすら忘れ「お久しぶり」などとのたまう始末。「先週殺人犯呼ばわりしたではないですか」と言うと、「ああ、ハハハ」と恬淡と笑った。
--------------------------------------------------------------------------------
「純平×クラブ」 2007年3月7日椎名林檎×斎藤ネコの「この世の限り」での+要員としても気を吐く椎名純平だが、自身のフィールドでも実にいい仕事を見せてくれた。
東京は丸の内「COTTON CLUB」でのライブである。ここは、ジャズの殿堂として、昨年のオープン以来、名だたるジャズ界の巨人たちがライブを催してきた。シックかつゴージャスな店内。美味い酒や料理を楽しみながら、良い音楽を聴く。なんて贅沢なひとときであろう。
私が店に入ったときは、既に純平氏のライブが始まっていた。案内されたテーブルは、向かって右側、ステージの真横である。ベースとドラムを従え、グランドピアノを弾きながら歌う純平氏とは対面するポジションだった。照れる必要もないのだが、目が合いそうになり、ちょっと下をうつむいたりしてしまった。何をやっているのか。
ほの暗い空間。カクテルで喉を潤しつつ、純平氏の音楽に改めて耳を傾ける。衒いの無い純平氏の声が心地いい。トリオで奏でるサウンドも息が合っている。聴衆も満足げだ。とりわけ、欧米人とおぼしき外国人のノリが凄かった。演奏が終わる半テンポ前に早くも激しい拍手。「ワッツゴーインオン」でも歌おうものなら、口笛で激賞する始末。さすがに、ビールを超ピッチで飲んでいたためか、アンコールに入ったところでご不浄に席を立っていたが。
「COTTON CLUB」と椎名純平。うまい酒といい音楽。もう一度味わいたいものである。
--------------------------------------------------------------------------------
「僕らの音楽体験」 2007年2月21日「僕らの音楽」の収録現場には、すでに大勢のミュージシャンがいました。名人に疎い私ですら存じ上げる方も幾人か。EMIのディレクターY氏に尋ねてみると、今ここにいるミュージシャンが一堂に会することがどれだけ価値があることかを諭されました。私「あの方は・・・?」、Y氏「あの人は、フュージョン系の大家でね」、私「ドラムはあの・・・?」、Y氏「そうだよ、レコードで何度も聴いたことがあるだろう?」。などと、教育テレビ的やり取りを繰り広げたものです。そうなのです。椎名林檎の新作「平成風俗」こそ、まさにこれらの特Aクラスのミュージシャンがこぞって参加している驚きの作品なのです。そして今回の「僕らの音楽」では、音源を再現せんと綺羅星たちが呼び寄せられたというわけです。
いっぱいのミュージシャンを斎藤ネコさんが束ね、林檎女史の歌声もいよいよ余韻嫋嫋の響きを見せます。「この曲とともにエンドロールが」とか、「林檎女史とイチローさんの談笑を受けてこの曲が始まるな」などと、私はオンエアの情景を夢想せずにはいられませんでした。「平成風俗」に収められた重要楽曲を3曲。豪勢に完全再現です。視聴+永久録画をマスト要件に掲げたいと思います。
--------------------------------------------------------------------------------
「まさにこの世の限り」 2007年1月12日椎名林檎のシングル「この世の限り」が発売間近です。ふと、プロモーションビデオを撮影したときのことが思い出されます。場所は東京近郊の広大な屋外更地で。今回は、林檎女史のほかに、斎藤ネコさんと椎名純平氏も参加し、非常に賑やかな撮影となりました。
日中は、クレーンに吊るされたカメラを見上げる姿勢がほとんどで、林檎女史も純平氏も、おそらくは後日首筋にハリを感じたはずです。他方ネコさんは、おひとりだけカメラ目線でない役回りだったため、実に悠然としていたものでした。
それにつけても場の寒さよ。夜になっても撮影は続きました。太陽という熱源を失い、寒さはいよいよ猛威をふるってきました。とくに林檎女史は、衣装が薄着でした。撮影中は衣装でひたすら耐え、「カット」の声がかかるとすぐさまベンチウォーマーをかけられていました。そのベンチウォーマーも、撮影が進むにつれ、内側にカイロが敷き詰められるなどバージョンアップしていました。
撮影終了となったのは、午後11時ぐらいでした。演者のお三方には、寒い中本当にお疲れ様と言いたいです。斯く言う私も、帰宅して温かいスチームを浴びたときは、本当に生き返った心地がしました。ふと、自分の顔が妙に赤らんでいることに気付きました。凍傷かと思いきや日焼け。太陽め。
--------------------------------------------------------------------------------
- by kizukuri
- at 17:28